代表者として一番に情熱の体現を
GREETING
父親の影響で建築の道へ進んで以来、お客様や協力会社様、ともに働く仲間などのたくさんの方々に支えられ、ここまで誠実なサービス提供を継続してこられました。会社を運営する代表者として、お客様満足度を大切にした対応を一番に率先してきたつもりです。常に心に留めている想いを載せていますので、お時間のある時にぜひご覧ください。今後もサービスの品質向上に努めてまいります。
代表者挨拶
はじめまして、ミホ工業の代表を務めております宮崎(みやざき)と言います。会社名は、ミホ工業といいます。ミホ工業だと、住宅を作っている会社のように感じられないと言われたため、ミホ工業というブランド名で家づくりをさせていただいています。
まずはじめに、私の自己紹介から始めさせてください。私は、昭和45年2月に建築業を営む両親のもとで生まれました。もう、40歳過ぎてしまい、自分では若いつもりですが、周りからみたら「おじさん」なのかもしれません。
父親の影響で建築の道へ
家づくりをはじめたのは、やはり両親の影響が一番大きいと思います。僕には兄がいますが、兄は建築とは関係の無い職業に就いています。一人ぐらい跡継ぎがいても良いだろうと思い、はじめは建築に関する金属部品の会社をはじめました。マンションに使う金属柵やその他特殊な金物を作る会社なのですが、収入を得るという点では良いのですが、仕事としては面白いって思ったことが余りなかったんですよね。
そこで、やはりお客様の声が直接聞こえる、家づくりをはじめたいと思い、建築をやっている仲間からいろいろ教えてもらいはじめました。初めの頃は、あまりに知らない言葉だらけで、くじけそうになったことも沢山あったのですが、良い仲間と出会え、必死で勉強して、お客さま、下請けの業者さんなども誠意を持って接した結果、完成の時には、お客さまからも、業者の方々からも「ありがとう。一緒にやってきて良かった。」と言われた時は涙が出るほど嬉しかったです。そのうれしさが、今も建築を続ける原動力になっています。
友人の苦しみを感じて
大学の時の友人が、今から10年ほど前に、年収の8倍以上の住宅ローンを組み、マイホームを建てました。私が本格的に家づくりをはじめる前でしたので、どんな業者で建てたのかはよく知りません。ですが、その友人がたった3年ほどで家を手放さなくてはいけない事態になってしましました。せっかく家族の意見を出し合って建てた家なのに、友人は飲みに行った席で、悲しい顔をして語ってくれました。
友人の場合は、いきなり住宅展示場に行って、気に入った住宅会社の営業マンと一緒に仕様を決めて、勧められるままに金融機関の申込書を書いたそうです。収入もそこそこ有ったのでローンはそれほど問題無く通ったそうですが、そこからが大変だったそうです。10年前と言えば、景気もかなり悪くなっていた頃です。期待していたボーナスが半減して、1回、2回はなんとか支払ったものの、3回目になって返済が滞り始め思い切って、売却する道を選んだそうです。
金融機関は貸すのが仕事ですから、条件に当てはまりさえすれば、個人の事情などは全く気にすることなく、いくらでも貸してくれます。普通の住宅会社の営業担当の方は家を売ることだけが仕事ですから、それこそローンの審査さえ下りれば、高い家の方が成績になるのです。結局、知識も経験も無い彼が、プロの言う事だからと信じたが故の失敗だったのかもしれません。
ですが、本当にそれで良いのでしょうか。家を建てるという、家族にとって最高に幸せな事をお手伝いする以上、その幸せが続くようにお手伝いすることも私の仕事の一部だと思っています。
私に家を建てさせてくださいとは言いません。家そのものは、好みがありますし、価格もいろいろです。ですから、気に入った会社で建てて頂くのが一番良いと思います。ですがこの話しを聞いて、気になる方は、私に資金計画をさせてください。今の私には絶対に失敗しない予算を立ててみせる自信があります。
子ども時代の夢
今の私をご存じの方には想像も出来ないかもしれません(笑)が、私にも夢多き少年時代というものがありました。3歳の時に、交通事故にあって、どぶ川の側溝にはまって頭に大けがを負ったせいかもしれません。私は子どもの頃を通じて太っていました。いわゆるおでぶちゃんだったのです。ですが、次男というせいも有るのかもしれませんが、ガキ大将で、野球をやらせれば4番でピッチャーという体型からは想像できない要領の良さも持ち合わせていました。どちらかと言えば、ワガママでやんちゃな子供で典型的な悪ガキだった気がします。ですが、じいちゃん、ばあちゃん、オヤジとおふくろに囲まれて、本当に自由に好きなようにさせてもらいました。
私の浪人中に、オヤジが母方のじいちゃん、ばあちゃんと一緒に暮らす2世帯住宅を建てました。兄が大学生、私が浪人時代にどこからどう資金を出したのか、本当に不思議ではあるが、新しい家がこんなに良いものだとは思わなかったというのが、大学生時代の私の素直な感想です。いずれにしても、オヤジの仕事がなかなか軌道にのらず、家計を預かっていたおふくろのやりくりは本当に大変だと思う。ましてや、大学を出て直ぐにおふくろを、脳梗塞の発作がおそい、半身不随なのに、毎日台所に立っていた。今にして思えば、子どもに不安を感じさせない両親は本当に凄いなと思います。
ですが、その両親に、心から素直にありがとうと言えていないのが今の心残りです。まだ、両親が健在のうちに精一杯親孝行をしたいと思っています。こんなことを、自社のホームページで語ってしまうのは、我ながらどうかなと思いますが、直接両親に面と向かって言えないので、こんなところで大々的に発表してしまいました。
最後まで読んでいただいて、本当にありがとうございます。